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南の風とともに

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教会訪問(11月No.3)

教会訪問(11月No.3)_d0113490_039354.jpg 11月の3週目の日曜は中部の教会を訪問。街というよりもむしろ田畑に囲まれたローカルな場所に教会はある。アメリカ人の宣教師が始められた教会で、宣教師の先生は日本に来られてもう40年以上。「私より日本が長いですね」と言うと、笑ってくださった。豊富な経験から、様々な話を聞かせて頂く。
 日本に来て学んだ日本語という外国語を使って、聖書のことばと神様の愛を伝えていく大変さ。そしてその素晴らしさを話を聞きながら感じさせられる。40年以上、母国を離れ日本という異国で日本人に仕えてこられた。その姿に感銘を受ける。それでも、今でも何かあるときに、「『先生はやっぱり外国人だから日本人のことは分からないですよ』と言われることもあります。」そう、残念そうに言っておられたのが心に残った。
 その気持ち、私はまだまだ比較にならない少ない年数だけど、何度か味わった気がする。私は日本にいれば日本人だ。普段の生活の中で、国籍を意識することは少ない。しかし、日本を一歩出ると、途端に外国人になる。南の国に行けば、私は何をしても外国人にみられる(日本人にもみられないけど・・・)。もちろん、時に南の国の人に間違えられることもある。しかし、やはり何かの時には「外国人だから・・・」と見られて終わってしまう。越えたくても越えられない壁。その現実にがっかりしてしまうこともある。でも、だからこそ、できることもあるのではないか。多くの宣教師とお話する中で、私自身教えられたひとつのことだ。
 ソトの異文化から来る者だからこそ、分かることがある。異文化の中で苦しみながら暮らす者だからこそ、見えるものがある。聖書に出てくるパウロもそうだった。彼は異文化の視点で鋭く物事を見ていた。神様は何らかの目的をもって、ある人たちを違う文化の中へ送られる。それは海外にしても、日本国内でも同じだと思う。異文化の中で生きる者だから、できないこともある。でも、できることもある。 
# by awkun | 2011-11-29 10:27

教会訪問(11月No.2)

教会訪問(11月No.2)_d0113490_842746.jpg 11月2週目の日曜も関東の2つの教会を訪問。
 午前に伺った教会では、その教会のメンバーで絵を描くプロの方が作成してくださった「南の国」のポスターが集会所の壁に貼ってあって、思わず見とれてしまう。(集会後に記念に頂きました。ありがとう!また使わせて頂きます。) また、この日のために本物の「かぼちゃ」が教会に用意してあってびっくり。「かぼちゃ」と「南の国」は、深いつながりがあって、いつも南の国を紹介するときに、そのことをお話しすることも多いが、本物のかぼちゃがあると、説明もよりリアルに。特に教会学校の子供たちには大うけ。そのうち、「かぼちゃ宣教師」って呼ばれたりして。
 集会後、このかぼちゃどうするのかな・・・と思っていたが、聞く話によると、その翌日「かぼちゃプリン」になったとのこと。ああ・・・かぼちゃプリン最高。それはさておき、普段さまざまな面で私たちの働きを助けてくださっている方々にもお会いでき、嬉しいひとときだった。
 午後はそこから鉄道で移動。同じ県にある米軍の教会へ。集っている方たちはほとんど米軍関係の方々。夕方の集会の中で数分間頂いて、南の国の報告をさせて頂く。最初に一言。「私は日本語が第一言語で、英語はそれ以下です。ですから、今日は読む英語の原稿を持ってきました。もし私がおかしな英語を話したら、それは私のせいではありません。この原稿のせいです。」それで集っている方々、大爆笑。少しはジョークが通じたらしい。こちらも少しリラックスして、持参した原稿を使って報告することができた。
 その集会でのメッセンジャーは、日本で20年以上、日本人のために働きをしているアメリカ人の宣教師。その先生は日本が長く、私も日本語でしか先生と話をしたことがないので、その先生から英語でメッセージを聞くと新鮮に思う。「遣わされている場所は、学校、職場、地域、それぞれ違うが、みなそれぞれの場所で神様から使命を与えられている。ある意味でクリスチャンはみな宣教師なのです。」確かにその通りだと改めて思わされた。
 次の日曜は中部の教会。
# by awkun | 2011-11-18 00:23

教会訪問(11月No.1)

教会訪問(11月No.1)_d0113490_921735.jpg 11月最初の日曜は関東の2つの教会を訪問。朝に伺った教会は、ビルのワンフロアを教会にしておられるが、講壇となりに南の国の国旗が飾ってありびっくり。アメリカとか他の国の国旗はよく見る機会があるが、南の国の国旗を今まで日本で見たことはほとんどない。(かなり珍しい)
 「この国旗どこで手に入れられたんですか?」と牧師先生に聞くと、「実は・・・」と。この日のために、いろいろと探したところ、ある団体が南の国の国旗を持っていることがわかり、事情を話すと快く貸してくださったとのこと。そこまで手を尽くしてこの日のために準備してくださったことに、驚きと嬉しさと感謝の思いを持ちながら、南の国の話をさせて頂いた。ありがとうございました。ちなみにこの南の国の国旗、もし手で描くならば、他の国の国旗と比べて難易度はかなり高いと思う。特に中央部のアンコールワットの細かいデザインを描くのは至難の業だ。以前、ある教会の青年たちが描いてくださったが、「かなり時間がかかって大変でした・・・」と。シンプルな国旗に比べると、確かに少し複雑なデザインかもしれない。でも、南の国の茶色い大地と青い空をバックに、この旗がなびいているのを見ると美しくも思う。
 午後の教会へは鉄道で移動。私と同じ神学校を卒業された若い先生ご夫妻もおられ、また久しぶりの方々とも出会うことができ、楽しくいろいろな話もさせて頂くことができた。夕方の集会後は、教会内で教会の方々と一緒に食事。どの話もおもしろかったのだけれど、特に国内各県による文化や言葉の違いの話は、とても印象的だった。同じ日本語の言葉でも、場所や地方が変わればそのニュアンスが変わってくることもある。それを私たち日本人はあうんの呼吸で読み取らないといけない。こういうのって、言葉ではっきり主張し、相手に伝える西洋人には理解が難しいのかもしれない(時に日本人同士でも難しいのだから・・・。)
 翌日曜も関東の2つの教会訪問。
# by awkun | 2011-11-15 20:02

教会訪問(10月No.5)

教会訪問(10月No.5)_d0113490_9375499.jpg 10月最後の日曜は関東の教会へ。礼拝前に教会の方々のきれいなクリスマスの賛美練習を聞き、ああ、もうそんな時期なんだ、クリスマス近いんだな~と思わされる。今まで南の国で暑いクリスマスが当然だったので、寒いクリスマスを味わうのは数年ぶり。やっぱりクリスマスと寒さは似合う気がする。教会では多くの人にお会いできて、個人的にもさまざまなお話をさせて頂いて感謝なひとときを持つことができた。
 また最近結婚して広島の教会から関東へ移った方とも久しぶりに会えて、嬉しかった。幼い時から広島の教会で一緒だったので、顔を見てとても懐かしい思いがした。住み慣れた地を離れて新しい地に行くというのは、楽しいこともあり、大変なこともあると思うけど、続けてよき伴侶の方と共に神様の守りがあるように祈ってる。
 この週の木曜は休日。関西の教会の特別集会に招かれたので、家族で出席。他の国で働いている宣教師も招かれ、1日の中で5回の集会。普段、異なる国で働く宣教師同士、めったに会うときがないので、貴重な機会。といっても、お互いバタバタしててなかなか話せないんだけど・・・。この特別集会、主催教会の青年たちを中心に、各国を紹介したパネルを作成したり、一人の宣教師の半生を描いたスキットをしたり、さまざまな催しがあって、個人的にはとても楽しく、また学ぶことも多く、恵まれた一日だった。それにしても、教会のみなさんは大変な準備があったと思う。ありがとうございました。
 その集会で配られていたあるしおりに目が留まった。このしおり、表面にはアフリカの女性宣教師の写真があり、裏面にひとつの切手が貼ってある。実はこの切手、アフリカに渡った女性宣教師と、日本のある方との20年に渡る文通の封筒に貼ってあった切手とのこと。20年という年月の重さ。一つ一つのしおりに貼ってあるアフリカの切手が物語っている。しおり自体は軽いのだけど、その切手を見ていろんなことを考えさせられて重く感じる。
 次の日曜は関東の2つの教会を訪問。もう11月なのに、夏日の広島っていったい・・・。
# by awkun | 2011-11-05 09:38

教会訪問(10月No.4)

教会訪問(10月No.4)_d0113490_2225590.jpg この日曜は関西の2つの教会を訪問。朝に訪問した教会は、5月のGWの時に教会キャンプでお話させて頂いたこともあり、数ヶ月ぶりの再会。以前キャンプの時に、南の国ではなかなか「生卵」を食べることができないとお話したことを覚えていてくださり、集会後のお昼ご飯時には、目の前にすごく新鮮な生卵が。わざわざこの日のために買ってくださったとのことで、嬉しく美味しく卵かけごはんを頂いた。ありがとうございました。(ちなみに海外在留邦人にとって嬉しい日本からのおみやげで結構上位にはいるのも生卵。ただ時々、海外の空港で没収されることも・・・)。集会もとても恵みと祝福を受けた集会となり、心から感謝。夕方は他の教会の集会だったが、こちらでも懐かしい方々にお会いできて、嬉しいひとときだった。
 集会後のひとときで「南の国の言葉は、発音が多くて大変です」との話をすると、ある方が「じゃ、南の国の人たちは耳がいいんじゃないですか?歌も上手じゃないですか?」と。確かにそうかもしれない。歌に関しては、南の国の学校の授業に音楽が無いこともあり、一般的に音程をとることは苦手かもしれないけど、上手な人は上手だ。
 以前にもブログに書いたが、このような話を見聞きしたことがある。南の国で日本人があるバイクの修理工場で技術指導として働いていた。その時に、ある南の国の人が、「このバイクのエンジン音おかしいですよ」と修理に持ち込み。現地技術者も「うん。確かにおかしい。」と言う。しかし、日本人技術者はエンジン音の違いがまるっきり分からない。その人が後にある雑誌にこのようなことを書いていた。「この国の人たちは、私たち日本人が聞き取れない音を聞き取っているように感じる。」
 他の国の人が聞き取れない音を聞き取れる。それは音が多い言葉で育った人たちだからこそ備わった能力なのかもしれない。私たち日本人だからこそ備わった能力って何だろうか?とふと考えさせられた。
 次の日曜は関東の教会を訪問。日本はすっかり秋。
# by awkun | 2011-10-28 22:28

教会訪問(10月No.3)

教会訪問(10月No.3)_d0113490_222767.jpg この日曜は関東の2つの教会を訪問。前回(6年前)の訪問の後に新しい会堂を建てられ、新しい場所は初めての訪問だったが、広くて、新しい素敵な会堂だった。聖歌もきれいに響くのがとても印象的だった。久しぶりの方々にお会いできて感謝。
 そして、集会後のお昼ご飯の時間に、教会の方が作ってくださった「かぼちゃのパイ」を一緒に頂く。美味しかった!「南の国とかぼちゃのこと覚えてますよ!」と。今日のために、かぼちゃ料理を作ってくださったとのこと。かぼちゃパイを頂きながら、教会の皆さんが南の国のことに関心を持ってくださっていることに嬉しく思う。
 多くの方は既にご存じだと思うが(私もいろんな場所でお話ししているので)、「かぼちゃ」の語源は私が行っている南の国。あるホームページによると、江戸時代にポルトガル人が南の国から日本に持ち込んだらしく、南の国の国名がなまって「かぼちゃ」と呼ぶようになったとのこと。そんなこんなで「かぼちゃ」を見たら、「南の国」をぜひ思い出してください!と教会訪問のときどきにお話ししていたが、多くの教会の方々がそのことを覚えて下さっていて、これまた嬉しい。
 「かぼちゃ」は一般的にも有名な話だが、実は「うどん」の語源も南の国だと言う人もいる。日本の江戸時代、南の国の首都名は「ウドン」だったらしい。そしてそこには日本人の町があったともいう。こういうことを考え出すと、歴史のロマンを感じる・・・かな。
 そんなことをいろいろと改めて調べていたら、「じゃがいも」も「ジャカルタ(インドネシアの首都)」が語源とあってびっくり。それなら「じゃがいも」見たら「インドネシア」を思い出してくださいって言えるかな。ちょっと無理があるか・・・。何にしても、何か身近なものに関係があると、覚えやすいように思う。

 今度の日曜は関西の2つの教会を訪問。
# by awkun | 2011-10-17 22:54

教会訪問(10月No.2)

教会訪問(10月No.2)_d0113490_22444872.jpg この日曜は関西にある2つの教会を訪問。2つの教会共に6年ぶりぐらいの訪問となる。様々な話をさせて頂き、感謝。また、前週と同じように、南の国につい先月行ってきたという方も教会におられ、話が盛り上がる。最近、南の国に行く人、結構多いのかな。「ニュースで見たんですが、洪水大丈夫ですか?」という声も。南の国も、また隣国も大雨で洪水とのことで、日本のニュースにこの数日間よく取り上げられている。今は日本にいるので、直接的に状況を見聞きすることはできないのだけど、これ以上洪水の被害がないことを祈っている。
 
 日曜の夜、関西から夜行バスで東北福島へ。月曜は休日で、主に福島の教会の方々が一か所に集まっての集会が行われた。その集会の中で、聖書から話をさせて頂く。大震災があってから、東北、福島に行くのは個人的な訪問も含めてこの日で数回目。しかし、何度行っても、東北地方、福島が抱えている苦悩を前にして言葉を失う思いがする。そして、その中でも、目を上にあげて、日々の生活をしておられる方々の姿に、心を動かされる。
 
 以前にある本を読んだときに、その本の中である有名な東北の詩人の歌を紹介していた。「もがみがわ さかしらなみのたつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」。その本の著者によると、この歌は東北を象徴しているらしい。特に「ふぶくゆうべ」の箇所の母音はほとんど「ウ」。人間苦しいときに「イ」とは言わない。うめく時のように「ウ」という。「ウ」の母音が続く「ふぶくゆうべ」のように、東北は歴史的に過酷な自然の中で耐えてきた。そしてなお、神様は東北に大きな試練を与えられた。なぜだろう。被災地に立ち、その思いにとらわれる。ただ、確かなのは、まだしばらくの間「ふぶくゆうべ」は続くこと。しかしその中でも、確かな希望はある。神はどのような時でも共にいてくださること。その希望を、直接目で見ることはできない。でも、私は信じている。これこそが、クリスチャンが持つことのできる一番の希望ではないかということを。
 続けて被災地のために、そこに住む方々のために覚えていきたい。

 次の日曜は北関東の教会を訪問。
# by awkun | 2011-10-13 23:25

教会訪問(10月No.1)

教会訪問(10月No.1)_d0113490_1182814.jpg この日曜は中部の2つの教会を訪問。2つの教会共に、歓迎して報告を受け入れてくださり、また関心もって聞いてくださって感謝だった。実際に南の国を訪れたことのある方もおられ、写真を見ながら懐かしくお話しすることもできた。ありがとうございました。

 前日土曜の夜から中部に入り、教会で一泊させて頂く。その夜に、牧師先生を交えて教会の青年の方々と一緒に楽しく食事。教会の方が「中華丼」を作ってくださって、教会で一緒に頂く。そこで少し不思議なことに気付く私。教会の皆さん、「中華丼」を「中華飯(ちゅうかはん)」と言う。
 「ここでは『中華丼』って言わないんですか?」と聞くと、皆さんびっくりして「えっ?中華丼って何ですか?中華飯(はん)でしょう。」と。そこから、「丼」VS「飯」論争が始まる。私はひとり「中華丼」派。
 「じゃ『天津飯(てんしんはん)』は何と言いますか?」と聞かれ私「それは『天津飯』かな・・・。確かに天津丼ってあまり言わないですね。」 ここで飯(はん)派が優勢となる。
 私「でも『かつ丼』を『かつ飯(はん)』ってあまり言わないですよね。」「・・・」 少し丼派が押し戻す。「それに市販のレトルトはだいたい『中華丼』って書いてありますしね」。
 「中華丼」か「中華飯」か?後でネットを見てみたら、やっぱり一部の人たちの間で論争になっていて、中部の一部、その他のある地域では「中華飯」。その他の大多数の地域では「中華丼」と呼ぶらしい。考えるとけっこうおもしろい。とまあ、こういうやりとりを文章に書くと、「飯派」と「丼派」の熾烈な争いが繰り広げられたように思えるかもしれなが、実際は美味しい「あんかけ野菜丼(双方の妥協語)」を皆で頂きながら、場所が違えば呼び名も異なるという、いろんな文化の違いを話せて楽しかったひとときだった。

 日本と南の国のような外国は、言葉も文化もまるっきり違う。だから、まさに異文化の中での生活、そして働きとなる。でも、日本の中にも、いろんな地方があり、いろんな文化がある。私は結婚して2年間、妻の実家のある九州のある島に住んだことがあるが、それは私にとっては大きな異文化体験だった。年配の方々どうしの会話が全く分からない。方言が理解できない。風習がまるで分からない。同じ日本なのに・・・という思い。でもその中で、今から振り返っても貴重な体験をすることができた。一方、九州で育った私の妻にとって、私と結婚して私の地元(広島)に一緒に住むこと、また南の国に行って生活することは、大きな異文化体験なのだと思う。それでも一緒についてきてくれていることには心から感謝している。

 人はみな、いつもどこかで大なり小なり異文化体験をしている。幼い時には友達の家に遊びに行くだけでも異文化というものを知る。進学したり、転校したり、就職したり、結婚したり、転勤転職したりして、異文化を味わう。教会の中でも異文化経験をする。自分とは全く異なる価値観で育ち、生活している人と話したり、関わりをもつことによって異文化体験をする。そのような異文化に出会うときに、大事なのは、自分はさておき、まずニュートラルに相手を知ろう、その文化を知ろうと思うことなのだと思う。それは海外でも、そして国内でも変わらない。時に異文化というものは、私たちを戸惑わせ、怖がらせ、苦しめる。でも、異文化の壁を乗り越えたときに、また何かひとつ成長があるような気がする。それが、異文化というものと格闘しながら、今でも学び続けていることだ。
 「中華飯」と「中華丼」の違いは、たった一文字の違いだが、背後にある文化の違いという意味では、結構大きい違いでもある。
 
 次の日曜は関西へ。その晩から、福島へ移動。

●写真は南の国風野菜炒め。香草がポイント。
# by awkun | 2011-10-04 19:15

教会訪問(9月No.3)

教会訪問(9月No.3)_d0113490_23312179.jpg この日曜は、関東にある2つの教会を訪問。ひとつの教会は、土曜から日曜にかけての集会で、2回のお話。南の国の様子も交えながらの話をさせて頂いたが、興味深く聞いてくださって感謝。日曜お昼は、教会で一緒に食事を頂いて、そこからバタバタと次の教会へ移動。午後からはもうひとつの教会で報告。集会後、皆さんからたくさんの質問を頂いた。質問をたくさん頂くと、嬉しくなる。その中の質問のひとつに、時間のことがあった。「南の国の時間の感覚はどうですか?日本とは違いますか?」
 その質問を聞きながら、バスの話を思い出した。以前にもブログに書いたが、南の国でバスに乗ろうと思ったときのこと。発車時間にはもちろんバスは来ない。ここまでは想定内。そこから30分近く遅れてバスが到着。やれやれと椅子に腰掛ける。しかしそこからもバスは出発の気配なし。「えっ?なんで?故障?」と思いきや、「まだ空き椅子がありますから」と。客が全員椅子に座るのを待って、初めてバスは出発する。これ南の国流。要はその日のうちに目的地にさえ着けばよい。
 最初は、少しびっくりした。でもそのうち慣れた。そしてしまいには、「これって今はやりのエコじゃない?地球にやさしくない?」と思えるようになった。特に日本に帰国して、教会の行き来に高速道路を車で走っていると、客が少ないガラガラの高速バスをよく見かける。たまに、運転手さんしか乗っていないようなバスも。お客さんが一人もいなくても、路線バスは時間通りに走らせなければならない。でないと監督官庁から指導が来る。これ日本流。
 どっちがエコだろうか。どう考えても、南の国流がエコに決まってる。と、こんな感じに思ってしまうのは、もう南の国流に思考回路が染まってきているからなのかもしれない。
 そう思いながら、その日の夜に新幹線で帰宅。広島に着くときの車内放送。「列車の到着が2分遅れましたことを大変深くおわび致します。」思わず、あ~日本だなと思った。
 何はともあれ、訪問させて頂いた教会の皆様ありがとうございました。次の日曜は中部の教会を訪問。
# by awkun | 2011-09-28 23:36

教会訪問(9月No.2)

教会訪問(9月No.2)_d0113490_1024546.jpg この日曜は関西の2つの教会を家族で訪問。教会の方々とお話しでき、良い時が与えられた。「機会があれば、南の国に行ってみたいです。」と言ってくださる方が何人もおられて、南の国への想いを持ってくださっていることが嬉しかった。ありがとうございました。
 2つの教会共に、礼拝中に聖歌隊による合唱賛美があり、練習を積み重ねられたのだろう整えられたきれいなハーモニーに心を強く揺さぶられた。ソロの歌にはソロの良さがあり、合唱の歌には合唱の良さがある。神学校時代、コーラスの授業があったのだけど、いつもベース担当だった。何人かで一緒にベースのパートを歌うのだけど、だいたい主旋律とはメロディが違うので、なかなか歌うのに苦労したのを思い出す。決して上手ではなかった。でも個人的にベースパートは好きだった。もし今でもパートを選べと言われれば、迷わずベースパートを選ぶと思う。
 ソプラノやテナー(テノール)に比べると、アルトやベース(バス)はそんなに目立たない。(個人的主観なので間違っていたらすみません・・・。)でも、主旋律を支え、歌に幅と拡がりをかもし出す。そのようなベースの存在に、何かすごく惹かれるものを感じるし、神様から与えられている務めという面でいえば、ある方々はソプラノ的かもしれないが、私個人はどちらかといえばベースパート的なものではないかなと思っている。
 今週後半から一人関東へ行き、土曜日から日曜にかけて関東の教会。ノロノロ台風が少し心配。前回の大雨の被災地にこれ以上被害が出ませんように。
 
 
# by awkun | 2011-09-19 23:17